虚像とリアル

所詮戯事

自担を一日だけ嫌いになった日

※2年以上前に書いて下書きにしていたものをやっとアップ(2021.11.1)

 

タイトル通り、私が自担である長野くんを一日だけ嫌いになった日のことを書きたいと思う。

 

2018年1月13日一

 

その日はセンター試験一日目である。

電車が遅延するかもと友達と朝早い電車に乗って試験会場に向かったところ、先に到着していた先生達に早すぎだと言われたり、緊張でお腹を壊さないように試験合間に正露丸を飲んだり…。

今から約1年前のことだがこの日のことは鮮明に覚えている。

 

さて、そんなセンター試験の日に私の自担長野くんは妊娠を報告した(この表現の仕方だと長野くんが妊娠したみたい)。

私はかねてから長野くんが結婚したからには何としてでもお子さんを授かってほしいと願っていた。子どもが生まれたからって子育て生活をファンの前に見せることはないだろうが、それでも長野くんと子どもという組み合わせを妄想してワクワクしていたのである。

一般のジャニオタから見て結婚して所謂“パパドル”になるなるなんて狂気の沙汰かもしれないが、自担との年の差が27歳も離れている私は長野くんのことを“結婚したいと思える理想の相手”として見ると同時に、“理想のお父さん像”として見ている。

少し重い話を挟むことになるが、私は実の父親を10歳で亡くしているので父親というものをあまり知らない。長野くんは実の父親より3歳年上である。周りの友達全てに父親が亡くなっているという事実を話しているわけではないので「お父さんは長野くんに対して嫉妬しないの?」とよく聞かれる。訳を言うのも面倒なので毎回上手くはぐらかしているのだが、私は長野くんに対してこんな父親が良いなという理想像を勝手ながら重ねている。

 

というわけで、そんな長野くんが実際に子供が生まれたとなったら全力でおめでとうとお祝いしたいというスタンスを持っているし、なんならいっそのこと今すぐ死んで長野夫妻の第一子に生まれ変わって、長野くんから愛情をめいいっぱい受けて育ちたいとすら思う。

 

そんな素晴らしいニュースが舞妓めば、その日を勝手に祝日にしてしまうくらい大喜びをするはずだった。そうなるはずだった…。

 

この日、センター試験第2科目目である国語を解いている時にそれは起こった。国語は大問4問(現代文、小説文、古典、漢文)で構成されており、現代文と小説文にじっくり挑みたい私は前々から古典→漢文→現代文→小説文の順番で解いていた。もちろん本番もそのつもりで古典、漢文と問題を時進めた。本番という緊張もあって現代文、小説文を解く時に残そうと目標にしていた残り時間が思ったよりも少なくなっていて、駆け足で解くことになった。その際、私は時間短縮の意味合いを兼ねて現代文と小説文のマークは最後にまとめて一気にしちゃおうという本当に浅はかな行動に出た。ギリギリでマークし終わって、ふぅ….やれやれ、何とかマークし終わったと解答用紙を眺めていたらあることに気づく。

なんと回答用紙の私が塗りつぶしたマークの中に何も塗っていない所が1箇所だけ、しかも大門2の小説文と大門3の古典との繋ぎ目の所にだけマークが塗っていなかったのだ。私はその瞬間、顔だけでなく全身の血の気が引いたのをありありと覚えている。

というのも、単に大門2の小説文の最後の問題だけ塗り忘れていたなら良いのだが、私は全部解き終わった気持ちで塗り終わっていたのだからそれはつまりどこかで問題抜けしてズレていたか、もしくは1問に対して2つダブルマークしていたということになる。どっちにしろ、間違いがあってはならないセンターにおいて私が重大なミスを犯したことは確実だった。

 

時間ギリギリだったために、一気にマークをつけたために見直す時間も殆どなかった。マークミスが発覚し、血の気が引いたのと同時に試験管が回答終了と言い放った。本来なら回答終了と言われたらすぐに問題用紙を閉じなければならないのに、放心状態で回答用紙を見つめていた私は試験管の視線に気づいたため、慌てて問題用紙を閉じた。

もう問題用紙と照らし合わせて見直すことが出来ないなら、回答用紙が回収されるまでの間に自分の回答番号と問題番号をズレた所からできるだけ記憶しておこうと私は必死になって頭の中で4、2、3、3…と番号を繰り返した。問題用紙は持ち帰り可能だった為、回答用紙が回収された瞬間にすぐ問題用紙に自己採点用に丸をつけた番号と実際に回答用紙に書いた番号を照らし合わせた。7〜10問程度の番号を覚えていたが、その全てか問題用紙の番号と回答番号が1問ずつズレていた。7〜10問はちょうど大問2の小説文全ての問題、そして大問1の現代文の後半の問題をいくつかをドブに捨てたことになる。大門3と大門4の古典、漢文は問題を解いている間に見直していたのでそれらはマークミスをしていないはず。

そのため、現時点で言えることは大問題1の現代文でマークのずれを犯したことになる(回答用紙が回収される間にダブルマークは見られなかったので、恐らくマークをする時にどこかの問題を抜かしてマークしてしまった)。さらに不幸なことにどこからマークミスしたかすら分からない状態であるため、何点落としたのかもはっきりとは分からないのである。

センター試験を経て各大学で行われる二次試験の大半がセンターで取った点数が圧縮、もしくは拡大されて合格に影響する。センターが終わったと同時に各大学への出願申し込みも始まるのでセンター試験側から受験生に公的な点数が通知されることがなく(希望者は4月以降点数が郵送で送られてくる)、受験生は自分達の自己採点した点数でそれぞれ出願する大学を定める。

つまり、マークミスでどれだけ点数を落としたか分からなければ、自分の第1志望を初めとする大学に出願しても良いのか分からない。そして私は完全に文系脳の文系大学生であるため、国語は元々理系科目の点数を補う上で重要な獲得源であった。国語、英語、社会科目の私が得意な文系三科目で出願できる私立大学でさえ、国語で点数を大幅に落としてしまったらかなり痛いのである。実質その時の私が確実にあると思える国語の点数は古典と漢文の約80点(200点満点中)しかなかった為、文系には入りやすい私大はかえって出願するのは難しくなった。

 

このような一生を左右する一大イベントで壮大な大コケをやらかしてしまった私は今までの人生でこんなにも死にたいと思ったことは無かった。自分の一気に回答をマークするという誤った行動が悪いのは重々反省しているが、実の父親が亡くなったことや自担が結婚する等様々な困難を乗り越えた強靭な私の心が、打ち砕かれつつあった。帰り道に友達に励まされ、何とか自宅の最寄り駅に着いた。迎えに来ていた親の車に乗って解答速報は出ていないかとYahooニュースを開いた。

 

そこに映し出されたのは白石美帆さんの写真に“妊娠”の文字…。

「えぇっ!」と思わず半泣きに近い状態の声が出てしまった。咄嗟に思ったことは何でこのタイミングなんだよ…である。

 

本来なら喜んでお祝いをするはずだったのに、何でこんな人生最悪という日にこのことを知らなきゃいけないんだろう、長野くん達はまさに嬉しい状況の中にあるのに、それに対して私は今こんな崖っぷちの状態にあるのだろうと、自己嫌悪に陥ってしまったと同時に何で長野くんは妊娠報告を10ヶ月あるうちの何故このセンター初日に選んだのだろうと自担に対して不信感を抱いてしまった。私が何よりも悲しいなと思ったことはファンを傷付けないように最善のやり方で結婚を報告た長野くんが妊娠の報告日として設定したのがセンター初日ということ 。そんな最善のやり方で報告した長野くんの目には私のような受験生ファンの存在が入っていなかったということがまるで長野くんの思うファンに10代の学生が入っていないように解釈(当時の精神的にやられている私の解釈)ができてしまったことが辛かった。長野くんは自分みたいなおじさんに10代のファンがつくはずないと謙遜してるところも彼の性格上、そういう風に考えているかもしれない。でも長野くんの思うファンの対象に自分が入ってないことが悲しかった。

この妊娠報告はその日一日で折れそうになった心がポキッと折れた瞬間だった。センターでマークミスが発覚して呆然とはしたけど泣きはしなかったのに、初めてこの日に涙が出た。マークミスをしてなかったらこの報告を見ても、悲しくなるどころか、むしろ喜んでいたかもしれないと思うと、やるせない気持ちになった。

 

翌日のセンター2日目は無事に終え、大学もなんとか入学することができた。この話は、今でこそ笑いネタの一つになっているが、当時はかなり精神を抉られただろう。